大学って行かなきゃいけないところなの?
私は4人兄弟の末っ子で、兄は私立大、姉その1は有名な栄養系の短大、姉その2は私立大へ進学。
自分なりに兄弟を見ていて、短大は2年間に全てが凝縮されていて濃密でとても価値のある時間が過ごせると感じたが、
一方で4年制の大学は「なにしに大学に行ってんの?遊びに行ってんの?」という印象だった。
大学って、高校のさらに上の教育機関で、専門的なことが学べる場所だよな。
でも兄や姉はバイトばっかりで、スノボに行ったり、友達と旅行に行ったり。高い学費払ってなにしてんの?
特に勉強したいこともないし、お金ももったいないし、働こうかなと父に相談すると、
「大学は遊んでばかりの場所じゃないよ。
アルバイトも一つの経験になるし、大学は、自分のやりたいことを見つける場所なんだよ。
気を遣わなくていいから、行きなさい。」
父は高卒だ。実家の手伝いのために専門学校に進学した。いや、もしかしたら中卒扱いかもしれない。
親の心子知らず、減らず口が達者な末っ子の私は、
「今までずっと私のこと放置してきたくせに、こう言う時だけ口出ししてくるのか」と反発したが、内心大変ありがたい事だと思った。
私は赤本を開いて、20日間とちょっと、全力で受験勉強をした。
こんなに追い込んで勉強したのは人生で初めてで、頭を使いすぎたのか、生まれて初めての頭痛に悩まされた。(今思えば体力がないだけ)
結果、プチ興味のあった法学部に、しかも第一希望の私立大学に、合格した。
大学生活で得られたもの
作文や小論文を書いたのは、いつが最後でしょうか?
小学校の読書感想文、高校の推薦入試・・・いつが最後かと言われても、そもそもあまり書いた事がない。
入学後、初めての法学部の試験。(確か刑法)
無機質な罫線の連続が印刷された用紙を見て、私は目の前が真っ暗になった。
(なにこの罫線の量?!これ全部埋めるの?!)
私にはそもそも文章力がなく、書きたいことはあっても、どのように組み立てればいいのかが全くわからなかった。
(っていうか、問題文どこ?問題文の用紙は別で配られるのかな・・・)
配布されたのは、上の方に問題文がちょろっと1行記載され、あとは罫線が引いてあるだけの、A3より大きな用紙だった。
(だから、本やノートの持ち込みがOKだったのか。カンニングし放題だと思ってたのに・・・)
「制限時間内にあなたの考えを論ぜよ。」
「ついでに具体例もあげてね。」
「書けなきゃ単位あげないよ。」
という愛のムチが、法学部では95%の試験を占めていた。
(起承転結、起承転結!!)
遠い過去の記憶を捻り出して、国語の授業で習った用法を用いて解答用紙を埋めていった。
最初の試験は散々だった。
しかし、このような小論文は、これから嫌と言うほど書いて行くことになる。
一部の一般教養科目のような出席していれば単位がもらえるような授業とは違って、
法律系の授業では、ポケット六法を片手に、ひたすらノートを取っていく。
教授の考え方・話の流れ自体がメモの対象だった。
単語とか参考書引用とかそんな断片的なものではない。
おかげで、耳は教授の口へ集中、頭は内容を簡単にまとめつつ、手はノートに書き落としていく、分業ができるようになった。(まるでリアルタイム通訳の如く。この能力は自衛隊で大変役に立った。)
試験前には、予想される問題を考えて、授業中のメモと参考文献を見ながら自分なりに論じてみる。何度も書き直して、精度を上げていく。
この工程が、私の文章力、ひいては論じる力を作り上げてくれた。
今後の私の人生において強力な武器となり、私のかけがえのない宝物となった。
法学部の試験(期末試験とか単位取得のテストとか色々呼び方があったが)では、100点満点の解答は存在せず、75点が最高点となる。
法律にはいろいろな解釈があり、答えは一つではない、と言う理由だが、学生の答案として基準を設けて100点満点で採点すればいいじゃんとずっと思っていた。
しかしこれは、海外の大学で修士課程に入学した際も、全く同じ理屈で75点満点だったので、世界的に法学の世界ではこのような採点のやり方をするようです。
ちなみに、修士課程において、あまりにも優秀すぎたクラスメイトは、80点台をもらっていました。
教授の感動の度合いによりこの採点基準は覆るようです。
そんなんでいいんかい。
大学生活で失ったもの
といっても、あれ?日常的にあんまり文字書いてない?
法律系の科目ばかりを毎日8限も取っているわけではなく、週に何コマかあるくらいだった。
なんか・・・漢字を忘れていっているような・・・
友人と話す時も、
「まじで〜」とか「やば〜」ばかりで、日本語力が落ちていっている気がする。
なんか・・・ちゃんとした文章で日本語が話せなくなっているような・・・
アルバイトもやらせてもらっていて、確かに経験ではあるけれど、通学、授業、アルバイトの日々。
何か大事なものがどんどん抜けていっているような・・・
よし、できる対策はしよう。
自分の語彙から「ヤバイ」を抹消し、略語も使わない。
どうでもいい授業でもノートを取ることにし、(講師の方、すみません)
苦手だけど多少は読書をした。
なんとなくケータイで書ける日記(無料のブログのような)をつけて、文章のアウトプットの練習もした。
人前で話すことが苦手だし、ディベートのような「議論」が苦手なので、あえてディベートゼミにも参加した。
しかし、私は焦っていた。
こんなんじゃ足りない。
こんな青二才の私が、社会人になれるのか?
世間に出て誰かの役に立つことなんてできるのか?
もっと、修行が必要なんじゃないのか。
私のことを誰も知らない土地で、ゼロから自分の力で切り開いていかなければならないような、そんな荒療治が必要なんじゃないのか。
こゆきの独り言
大学に行ってよかったことの一つは、ジェンダーについて学ぶ機会をいただけたことです。
科目の名前は「女性学」
内容は、レズビアンの方やバイの方の恋愛や事実婚の実情(女性寄りのトピックが多かった)や、
商業戦略における性別への偏見などでした。
例えば、女性タレントしか起用されないバスロマンのCM(女性を性の対象としている)
お〜いお茶って実は男性が女性に「おい、お茶持ってこい」と言っている様子がモチーフ(男尊女卑)
といったもの。
私は、この講師の方にどうしても聞きたいことがありました。
中学時代の林間学校において、女の子からモテたことがあり(こうやって表現すると聞こえはいいけど)
どのように対応すればいいか分からず、彼女を傷つけてしまったのです。
もう過ぎ去ったことだけれど、私はどうしてあげればよかったんだろうと、頭の片隅でずっと考えていました。
授業終了後、この悩みを講師の方に打ち明けた際、タガが外れたように急に涙が溢れてきてしまいました。講師の方は、その様子にびっくりすることもなく、優しく応えてくださいました。
「彼女はあなたのことが好きだったのね。異性として。その気持ちは本物だったんじゃないかしら。だからあなたも彼女の思いに応えて、真っ直ぐに、返事をすればよかったのよ。
『私も、あなたのことが好きだけれども、友達として好きなんだよ。私の恋愛の対象は男性だから、お付き合いはできないよ。』
ってね。突然のことで対応できなかったかもしれないけど、相手もあなたと同じ人間なのよ。あなたが異性に恋をするのと一緒なの。
相手の気持ちを受け止めてあげて、あなたの気持ちを素直に伝えればよかったのよ。どう?簡単でしょ?」
確かに・・・
私が男性に恋をするのと一緒だ。
私は、ちゃんと返事をしてあげればよかったんだ。
どうすればいいか分からなくなって、顔も見れなくなってしまって、傷つけてしまった・・・。
またいつか、私が女性からモテることがあったら、次はしっかり返事をしよう。もうないと思うけど笑
先生、悩みを聞いてくださり、貴重なアドバイスをくださって、本当にありがとうございました。
今でもお元気で講師をされていらっしゃることを祈っております。
では、また。















